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格闘技論R71 大相撲の八百長問題について
不祥事続きの大相撲で、今八百長問題が暗い影を落としている。 この問題で、何が深刻かというと、元力士とか貴乃花の母親とか内部の人間が暴露したり、証言したりという泥仕合になっていることだ。 内部の人間が返り血覚悟で法廷に出るのだから、八百長があることは間違いないだろう。 現在携わっている内部の人間は、角界を守るために何を言われても否定するしかない。そこがつらいところだ。
しかし、長年大相撲を見ているファンならば、「あ、今の一番は本気でやってないな」というのはある程度分かるし、星の売り買いの話は昔からよく聞いていたことだ。 そんな話を聞いても「まあ、そういうこともあるだろうな」くらいにしか思わなかったし、それで「何だ、騙された! もう相撲は見ない!」という人はいないのではないか? 今はやれ透明性、コンプライアンスなどと何にでも当てはめようとする傾向が強い。弟子への過度な暴力はよくないが、八百長はそんなにいけないことなのか? 確かに勝敗を金銭で売り買いするというのは、汚く聞こえる。できればあってほしくない。
だが、戦いを職業にしている以上、相手があって生活していけるわけで、その辺のバランスを取ることは仕方ないと思うしかない。 相撲の古い文献を読むと、そもそも相撲とは「政」「祭事」であり、時の権力者や豊穣を祝う村人の前で力自慢したり、技芸を披露したりと、「見せる」ことを前提としたものだった。 ときには隣村との力士との交流もあり、そのときは互いの持ち味を引き出し合い、観衆を喜ばせたという。これはまさにプロレスと同じ原理である! 日本人こそ昔からエンターテイメントを楽しむ寛容さがDNAに組み込まれているのだ。
江戸時代に欧米文化が入るようになって、相撲とは何かを明確にするため、ルールやランキング、勝敗などのシステムを作ったという。 相撲はスポーツでも武道でもない。文化である。相撲に「ヤオガチ論争」は不毛だ。 長年のファンは、暴露する元力士には「それが何か?」と言える、ぶれないタフな人ばかりだ。日本には昔から「秘すれば花」といういい言葉もあるのだ。
(フリードリッヒ)
